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「洋画 吉田博」
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洋画 吉田博

吉田博

風景画の中に情緒と詩情を大切に取り込み、独特のタッチと世界観で作品を生み出し続けたのが、洋画買取 吉田博です。その浮世絵を彷彿とさせる画風は、洋画と日本画をバランス良く融合させた吉田博ならではの世界で描かれています。1876年に久留米市に生まれた吉田博は、旧久留米藩士であった、上田束秀之の次男でした。幼少の頃より絵画を描くことに長けていた吉田博は、福岡県立修猷館に入学。その場所で教鞭をふるっていた洋画家・吉田嘉三郎に才能を見初められ、吉田家の養子として迎え入れられることとなるのです。さて、福岡県立修猷館を卒業した吉田博は、本格的に絵画の勉強をしていくために上京を果たし、京都で洋画家田村宗立に教えを乞うことになります。京都での生活の中、三宅克己に出会い、水彩画に没頭していくことになります。そして、勧めにより小山正太郎が主催する不同舎に参加していきます。活動を活発化させていく吉田博は、中川八郎と渡米。デトロイト美術館で「日本画家水彩画展」を開催し、翌年にはボストン美術館で2人展を開催し、大成功を納めています。世界で活躍を始める吉田博は、その後には、当時の洋画家会の若手の作家とともにボストン・アート・クラブで「日本画家水彩画展」を開催しています。帰国後には、新しくできた帝国美術院展覧会でも積極的に出品を続けます。そして、1924年以降になってくると、数回に渡って帝展の審査員なども努めています。さらに、この頃より山岳などをモチーフにした風景画に着手しはじめます。1920年には、渡辺木版画舗から木版画の出版を開始。葛飾北斎に強い影響を受けたと見られる富士山など、数々の秀作を生み出していました。そして、1937年には、第1回文部省美術展覧会へ「利尻姫沼」を出品。なんと、李王家買上げという名誉を手に入れます。太平洋画会会長など、数々の名誉ある職務につきながら活動を続けていった吉田博。洋画という技法を日本画に取り込む、希有な才能溢れる画家の1人だったのです。

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